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死ぬなエスカノール

外伝を読みました!タイトルから想像するよりも大幅にハッピーかつ、ラストも悲壮感なく、ある意味そのまま彼の孤独が払拭されるような終わり方でした(とても意外)

そしてその分、それまでの孤独を生み出した背景については過去の大喧嘩祭りでゴウセルに見せられた悪魔語り以上のことは描かれず、分からないのがもどかしくもあったり。まぁなんというか他のメンバーの外伝とは一味違うような…そんな外伝でした。
過去エピソードを見たかったなぁ…という思いも強いのですが、他のメンバーと違い、エスカノールの外伝が大罪と出会ってからのごくわずかな時間(一晩の出来事)が描かれたのは、彼のことを語る上で、また彼を形作る要素として、何よりも<七つの大罪>とその出会いが大きいということでもあると思います。
 
呪われた力を持った自分を受け入れてくれた強く優しい<七つの大罪>がいることで、また自分がその一員であることで、自分は孤独じゃない!と、大切な女性であるローザに感謝と共に告げることのできるラスト、自分を孤独から解放してくれた大罪のために今度は命を賭けるという誓い。最近の本編でも一貫して描かれている彼の大罪への熱い想いをさらに強固にするような、そしてとても綺麗に今回のタイトルを完結させるようなストーリーである印象を受けました。だから読んだ時ハッピーエンドだ…マジか…え、ここで思いが満たされてしまったら、今後彼はどうなるんだ…と不安になりましたとも…というか今でも不安…でも反面
 
エスカノールが仲間のために命を賭け散っていく、というシナリオは、果たして本当に彼の美しく誇り高い面なのか?
 
とも思います
 
本編での最近の回、インデュラが脱走(?)してリオネスで襲撃されるわんぱく3人組を夜の姿で守ったり、寿命を縮めるのを分かっていながらマエルから恩寵を再び譲り受ける回、そして仲間に背中を向け魔神王に対峙して…と、どれも仲間思いの誇らしい姿ではあるのでしょうが、何度も何度も仲間に捧げる命と口にする姿に違和感もありまして、個人的にどちらかというと誇り高き死に方を選んでるような印象でした。穿った言い方をするともう、今やってるこれって 体のいい自殺 じゃないの?

大罪メンバーこそエスカノールを孤独から救ってくれた、だからこそ大罪は彼にとって唯一無二の大切な存在で、自暴自棄にしか生きられなかった彼が初めて大切な仲間に命を捧げることに生きる意味を見出した。っていうと筋は通ってるし、分かるんです。すごく分かる…でも、エスカノールがエスカノール自身を「大罪である」ことにしか価値を見出せてない限り、その価値観が丸々彼に全反撃してくる時が絶対必ずくるわけですよ…!!本人も分かっていることだけど、エスカノールの魔力はエスカノールの肉体を以てしては無限に使いこなせる代物ではないから。太陽の魔力が彼に呪いを与えたものであると同時に、その魔力があるからこそ彼は大罪という肩書を背負うことができた、この矛盾は、大罪に出会ってから、現在進行形でずーっとエスカノールにのしかかっていると思います。そして最近のエピソードや今回の外伝で、彼にとって大罪がどれだけ大きいか、その思いの方向性が強く補強されればされるほど、さらに重く…

外伝にしてみても、よく考えたら「自分の命を自分だけのモノと思うな」って叱責を受けて「じゃあ仲間の皆のためのモノだと思おう!」って元の姿勢と根本的には変わってないんですな…私はあの外伝でエスカノールの救済が描かれてたと思っていたのですが、あの日から本当に「仲間のために命を賭ける」ことを誓いとして生きてきたのならば、大罪はずっと生きる目的であったと同時に死ぬ動機でもあったんだなあって。

それでもただ自分を呪うことしか出来ず生きてきたエスカノールにしてみれば、そうやって自分の命を捧げても良い相手のために何か出来ること、闘えることは幸せだし、あの日見た悪夢は既に払拭されてると言えるかもしれない。エスカノール自身もあのインデュラからボロボロになってもワンパク3人組を守る回で、「彼らは力がなくても僕を仲間と思ってくれている」とモノローグで言っていて、魔力に関するもどかしさやコンプレックスもある程度は克服してるんだろうなぁ…とか色々グルグル考えるんですが、とか書いてる内に最新話更新されたので以下最新話(328話)からの話題↓↓↓ (謎のライブ感)


なんかもう…つらぁってなりました…そうか、そっちに行くのか、そうか…


エスカノールが大罪として闘って誇り高く命を燃やし尽くす事、その生き様…というか死に様を大罪は認めたんですね。仲間であるからこそ。大罪に自身の全てを投じるエスカノールに、自分がそうである内に生涯を終えるような選択肢をとることを、そしてそんな価値観全てを認めたんだなって。普段の彼らの主張的には仲間の自己犠牲は到底許容できないことだけど、今回受け止めたのはコレが仲間のための自己犠牲じゃなく、エスカノールが「自分のため」に選んだ花道なんだとその場にいた全員が理解したからだと思ってます。その象徴がラストの「許してください」なんだと…

何が辛いって今回のやり取りは、大罪が誰よりも仲間のことを理解したうえで、そして本人自身もその選択の意味を理解した上で示されたものなんだなあって痛いほど伝わってくるんですよ。私という読者的には全然何も良くないんですけど(本当に全然良くない)外伝からのこの話が見事に美しいんだもの…外伝で「エスカノール救済されたと思ったけど全然良くないじゃん」と思ったのは一種の未来への希望ですらあったのですが、今回でもう本当に閉じてしまった感ある。


正直生死の面では死ぬとは思っていないんですけども(だって七つの大罪だから)!七つの大罪メンバーがそれぞれ未来を賭けて闘う中で、ただ一人未来を捨て置いて命を燃やすことに命を賭けるエスカノールの物語は、短命の人間族らしくてそこも好きだと言えるけど、あまりに救いやカタルシスがないんだなぁ。んでも今のある意味完全無欠状態エスカノールにも穴があって、それはやっぱり・・・マーリンだと思うんですなぁ。もっと言うと、マーリンへの片思いと、マーリンの中にいるアーサーの存在の大きさに向き合うことが、現時点でエスカノールは全くできてないので。

エスカノール⇒マーリンって多分描かれている以上のことはないんじゃないかなぁ~って思ってます。好きになったきっかけも、好きになっていく過程も、なんていうか描かれた通りで…太陽として称えちゃうほど神聖視するほど心酔してる節はあれど、本当にただただ好きで憧れてたんだと思う。だからこそ、その好きな女性の中にじぶんよりも大きな存在の異性がいる、というシンプルな事実は、恋する一男性にとっては切実に衝撃だったんだと思うし、アーサーを失ったマーリンが悲しみに暮れる中でも、エスカノールは扉を叩くことすら出来なかった。相手が死してなお消すことの出来ないアーサーへの嫉妬も、アーサーへの思いの強さを目の当たりにして身動きが取れなくなってるマーリンへの片思いも、大義じみたものでコーティングすることが出来ないエスカノールの生々しい部分の感情じゃないか。だって扉の前でいつものポエムよろしく耳障りの良い言葉を言おうと必死に言葉を選んでたのに、それでも覆いかぶせないほどのものだったんでしょ…??

まぁなんというか、そういうものは「今まで生きてきた意味」とか「孤独を救ってくれた友のために命を賭けて闘う」という壮大なテーマを前にしたら小さく、立ち消えてしまうのは自然なことかもしれませんけども…ぶっちゃけて言うと、エスカノールにとっては魔神王に対峙して大罪の仲間を背にカッコよく死ぬことよりも、マーリンと対峙して自分の思いとマーリンのアーサーへの思いに打ちのめされることの方がよっぽど怖いことだとだと思うんですよ!それが大義名分に呑まれた人間であれば猶更、自分の中の生々しい感情にただ諦めるより優しい方法でケリをつけられることでしょう。呑まれてしまえば…

もうちょっと本当に何を言ってるか分からなくなってきたけど、仲間さえ認めてしまったエスカノールの死への唯一の枷になり得ると思います。何故なら恐らく多分エスカノールも良くないなぁって思ってることが、このマーリン関連の話だから。ちっとも顛末が美しくないから!

それもエスカノールの生き様かもしれませんし、そう幕を閉じることを責められはしません。でもあの日ローザに宣言したように「死ぬまでは精一杯生きる」というのなら、大切な女性ローザに口にした誓いの方に、そして自分はまだ死ねないと血反吐を吐きながらマーリンへの思いを吐露した自分にこそ報いて欲しいです。エスカノールが救われる…というか未来を生きることができるのはマーリンが思いに答えてくれた時でなく、そういう大義名分を超えて、自分の生々しい感情を自分が受け入れて、みっともなくとも正面からぶつけられた時でないかなあと思います。生々しいってめっちゃ生きる生きるって書くしね。
告れ!そしてフラれてこい!! 死ぬなエスカノール …以上です!